私が現在、知人とその一部の紹介された方の保険相談しか受けないのにはいくつか理由があります。

そのうちの一つは人間の思考がとても不可思議だからです。

Question, Doubt, Problem, Mark, Interrogation

ある判断をする。決断をする。それはあなたが本心からそう思っているのでしょうか。

保険に加入しようと思ったきっかけは何ですか?それは本当にあなたの人生の目的を助けてくれるものでしょうか。

私は保険営業を始めてから契約をお預かりする後にいつも悩んでいました。本当にこの契約内容で大丈夫だったのか。お客さまの本心が聞けたのか。将来まで納得のいく保障内容だったのか。

それは売れっ子と呼ばれる立場になっても管理する立場になっても変わりませんでした。

私自身も何か判断するとき「それって本当に私が思っていることなのかしら」と思うことがあります。

いろいろな縁に触れる外面。自分が持っている内面。仏典では依正(環境を依報、身体を正報、合わせて依正)というらしいのですが、一つの結論にたどり着くとき、または結果が出るとき、さまざまな複合要因が重なり合っているんだと思います。

保険商品とお客さまと真剣に向き合うとき、そうなると気が置けない人の相談しかのれないって結論に達したので今の相談スタイルになっています。

ただ、一回の相談で契約がダメだとか、保険と真剣に向き合わないとダメだとか、そんな話ではないです。私が気持ち悪いからそうしているだけです。

何よりも大切なのはあなたの価値観や人生観です。忙しい現代なのでサクッと保険を決めてしまうのも、費やす時間は人それぞれでいいと思います。

ただ、これからするお話しはサクッと決めたい方には不向きな内容です。ごめんなさい。

この記事はこんな人に有用です

・保険加入で絶対に後悔したくない
・保険営業の人から提案されたけどまだ迷っている
・本当に必要な保険にだけ加入したい

溢れる情報

まずは外。仏典でいうところの依正ですね。

現代人の1日の情報量がとんでもない量だと言われてどれくらいでしょう。

ネットで検索すると現代人の1日の情報量が江戸時代のの人の一生分とか人類の歴史が始まってから2000年ごろまでの情報量とか…

ふえ〜ほんとですかい。

私が10年くらい前にそんな話を聞いた時は江戸時代の1年分とか平安時代の人の一生分とかだった気がするんですけど。

いずれにせよネットのお陰で情報量は飛躍的・加速度的に増加している訳です。

溢れる安易な批判

保険の相談は何回かに分けてすることが多いです。

最初はお客さまの緊張感だったり距離感だったりがあるんですけど何回かご来店いただいてお客さまも饒舌になられる方が多いです。そうするとネットでこんな噂があるんですけど。と私が所属していた代理店や取り扱っている保険会社の悪口を聞くことがあります。

でも的外れな批判や単なる誹謗中傷も多いです。

例えば、「医療保険に加入したのに入院したのに出ない」「がん保険に加入したのに癌になったのに出ない」という保険金を出し渋るという意見。

これは別にまたお話ししますが、生命保険は出る条件が全て約款と言われるものや重要事項説明書に明記されています。

また、一部のユーチューバーの方やネット民が「書いてあると言われてもこ〜んなちっチャイ字で書いてあるから分からない」と仰っていますが、実際現場にいると事前に必ず説明している内容のものが多いです。

数十年前に保険金未払いが問題になったこともありましたが、また少し意味合いが違います。

ここで詳細は述べませんが、あまりにも安易に批判しすぎているのかなと思います。

溢れる安易な説明

しかし、保険の営業サイドに全く問題がないのかと言えばそんなことはない部分もあります。

先ほど言った重要事項説明書というのは不動産を借りたことがある方なら経験があるかと思いますが、借りる前に大切なことをかいつまんでお話してくれますよね。

保険でも保険業法で決められていて必ず重要事項説明書を使って重要事項説明を行います。

ただ、してない営業の人もいるようです。

私も営業を始めたばかりの頃、お客さまに急かされて「あ〜もうそんなの面倒だからいらない」と言われることがありましたが法令上絶対にやらないといけないのでと言ってさせてもらいました。

先輩に相談したら、契約の前のタイミングで「重要事項説明に〇〇分かかって、契約と合わせてこれくらいの時間の都合はつきますか?」と一言言っておけば大丈夫だよと言われ、その通りお伝えするようになってからはありませんが…先輩あざ〜す。

脳科学からすると情報を簡略化して省エネしようとするのは当然です。

養老孟司さんも解剖をスケッチするときには余分なところを省くと仰っています。

ただ大切なところを省いては意味ないですよね。

結論:一回は自分で調べる

脳科学者の茂木健一郎さんは著書「脳を活かす仕事術」の中で情報はできるだけ真水でとってくると言われています。

つまり一次情報ですね。

私の話で言うと最近、息子が小学校3年生になったので英語の授業が始まりました。

fountain pen on black lined paper

茂木さんは例えば英語は何歳から始めるのがいいのか。脳科学の見地から。そういう質問をよく受けられるそうです。

でも答えはないそうです。あれ?早くから始めた方がいいから中学生からだったのが小学生から必修になったんじゃなかったの?

ネットで調べると小学生からじゃ遅い!幼児期からやらないと!みたいな情報が山盛りです。ご馳走様でした。

例えば幼少期から始めると「L」「R」の聞き取りができるけど第一母国語習得の邪魔になり深い試作が苦手になるだとか、言われたりしますよね。

茂木さん曰く、幼少期からの英語教育は「嘘をついているか、こけおどしか、何かの商売をしているか」だとYouTubeチャンネルでも言われています。

あ〜。そうですよね〜。

私が最初にお話しした情報量が江戸時代に行きた人の一生分ってゆ〜のもホントかな?と思えた人は素晴らしいですね。そうなんです。あれも真水じゃない、一時情報じゃないんですよね。

国なり、信頼おける組織なり、その情報の出どころがどこかを把握しておく必要はありますよね。

もちろんだから信用に値するわけではないんですが。

それはご自身の意思ですか?

さらにもう一歩踏み込んで。今度は内面。仏典でいうところの正報ですね。

私たち自身の話です。

正しい情報がそこにあったとしても正しく受け取れないと有益ではありません。

心と身体。ちょっと極端かもしれませんがそもそも自由意志はあるのかって話になりますよね。

その選択に根拠はなかった

これは池谷裕二さんの著書「脳はなにかと言い訳する」に詳しくあります。

ある被験者にボタンを好きな時に押してくださいとお願いして脳の活動を調べたそうです。

意思があって神経を伝って指が動きそうですよね。

違うんです。

ボタンを押そうとする意思が生まれる前に脳の「運動前野」が準備をするそうなんです。脳が押そうと思う前に指が先に反応しているそうなんです。

つまり意思は行動の後なんです。

2006年2月「ネイチャー・ニューロサイエンス」では記憶テストを行って問題を出す前に脳波を見ればその人が正解するかどうか予測できると言う劇的な論文が発表されたそうです。

なぜボタンをいつ押してもいいのに「その時」に押したのか。答えはないですよね。

池谷さんは恋愛も同じだし、人間の行動には根拠があるように見えて基本的に深い根拠はないと言われています。

つまりすべての理由は後づけ。

その感情は他の感情だった

たま〜になんでそんなことで怒っているの?って方いらっしゃいませんか。

私もカスタマーセンターにいた頃や、管理職になった時にはクレーム対応をよくしました。

クレーム対応中は一生懸命なので、その言葉をそのまま受け取り真摯に対応してきたつもりですが、よくよく考えてみると辻褄が会ってなかったり、単なる言いがかりだったり…

社会学者の加藤諦三さんはそんな人のある家族旅行の話を例に出されています。

結論から言うと自分でも気がつかない本音があると言うことです。

ご主人、奥さん、お子さんの3人で旅行に行く。旅行先のホテルでご主人が散歩に行きたいと言ったけど他の2人が行かないと言うと途端に不機嫌になる。3歳児のワガママと一緒。ところが本人はまさか自分がそんなに幼児と同じわがままであるとは認めない。それどころか、普段の仕事で疲れているのにとかこんな忙しい中連れてきてやったと恩着せがましくなって合理化した説得をする。散歩に行くのとそのご主人の説明は全く理に適っていない。あなた一人で行ってきたらなんて言うとさらに怒り出す。素直に「一緒に散歩に行きたい」と訴えればいいのに違う理論を持ち出すから議論しても終わらない。言葉と本音が結びついてないからである。

参考:PHP文庫 加藤諦三著書「自分に気づく心理学」から要約して抜粋

実はこれ。私もやたらと理屈を捏ねてパートナーを困らせたことがありました。

本当はただ甘えたいだけだったと後から振り返って分かる。けど、それが自分では認められない。

その時は本気で理屈通りの感情だと自分では思っていたんですが。この本を読んで自分を省みたときに恥ずかしかった〜です。

でも、加藤さんによるととても多い相談事だそうです。

今のその感情は本当に心の底から思っていることなのか。

素直に生きている方なら問題ないんでしょうけどね。はい。

結論:多視点で考える

養老孟司さんは「私たちは近代を明治以降の西洋近代的自我を暗黙のうちに教えられている」と言われます。高度成長期、西洋に追いつけ追い越せで頑張れば知らず知らず、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を取り入れることになる。

そうですよね。習慣、生活、言葉、宗教がもとですもんね。

でも私たち日本人はもともと仏教や神道や儒教の影響が大きい。養老孟司さんは無我あとは浅知恵だろうと。

自分って何なんでしょう

自己言及の矛盾です。ラッセルの矛盾とか。ちょっと哲学的な話しになりますね。リシャールのパラドックスとか。興味ある人は調べてみてください。

自分は自分のことを言うと矛盾するんです。

でも自分と対話して自分を少しでも知っていくことが大切ですね。

先程の加藤さんの本に出てきたご主人は自分と対話できてないんですよね。自分で自分を決めつけちゃってる。だけど、自分の本音を自分が知らないからモヤモヤして怒る。

メタ認知や俯瞰して見るとビジネス系の書籍ではよく書かれていますね。

嫌だなとか、怒ったりとか、ネガティブな感情が出たとき。

実はチャンスなんですね。自分を深く掘り込むタイミングなんです。

なんで嫌だったのか。なんで怒っちゃったのか。

自己矛盾しながらパラドックスに陥りながら自分を掘り下げてみてください。

営業の人は答えを持っていない 答えを持っているのはあなたです

外的要因、内的要因。自分が選ぶというのはさまざまな要因によって変わります。

自分が決めたのか。状況が決めたのか。営業の人が決めたのか。意識は後追いなんです。

私は保険は掛け捨てでできるだけ安く済ました方がいいと言うのが自論ですが、当然人それぞれの立場や想いで大きく変わります。

こんな人生にしたい!ってゆ〜のがあれば、その道で起こりうるリスクから保証を考える。

こんな人生は避けたい!ってゆ〜のがあれば、そうならないための保証を考える。

って〜のが基本路線ですが、何よりも大切なのはあなたの価値観や信念、夢や希望、好きなこと、嫌なこと。

歩き方、走り方が人それぞれであるように、目的地や行程が人それぞれであるように、保険も人それぞれなんです。

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意識は科学的に定義できない…ってのは一度横において。

自分を見直してみる

大切なので何度も言いますね。

自分がどうなりたいのか。自分がどうしたいのか。逆にどうなりたくないのか。どうしたくないのか。

人生において将来、その道にリスクがあるから加入するのが保険です。

それは人それぞれです。

私もなかなか出来ないですが、自分というものを受け入れる必要がありますね。

別の言葉で言えば自分を客観視する力とでも言えるでしょうか。

脳の可塑性は茂木さんがよく言われる言葉ですよね。

自分をしっかりと見ることができれば保険も後悔のないものに加入できるとは思います。

最後に少し乱暴な話しになりますけど脳は勝手に動き出すけど止めることはできるんです。

むしろ意思はそこに働いていると思ってもいいかもしれません。

慌てて契約はしないでください。一度冷静になることも大切です。